李斯-2
更新日:2025年07月15日
●李斯像と★山刻石
さて、李斯は、中国秦代の法家の学者で始皇帝に仕え、その全国統一を助け、また丞相(秦の行政官の最高位)となって郡県制の実施、焚書・坑儒、小篆(文字の書体の統一)の作成などの政策を始皇帝に建言し重用された人物です。字は通古。子供に李由、李執がある。法家を思想的基盤に置き、度量衡の統一、焚書などを行い、秦帝国の成立に貢献しましたが、始皇帝の死後に宦官の趙高との権力争いに敗れ、処刑されました。この処刑が余りにも残虐で、咸陽の市場で公開処刑として五刑(鼻・耳・舌・足を切り落とし、鞭で打つこと)の末に腰斬(胴斬り。受刑者を腹部で両断し、即死させず苦しんで死なせる重刑)され、遂にその生涯を終えたのです。
李斯はもと楚の北部にある上蔡(現在の河南省駐馬店市上蔡県)の人です。若くして地元で小役人になりましたが、その頃は役所の便所に住むネズミを見ますが、便所のネズミは常に人や犬におびえながら汚物を食らっていることに気付きます。また、兵糧庫のネズミは粟をたらふく食べ、人や犬を心配せず暮らしている様を見、彼は「人の才不才などネズミと同じで、居場所が全て」と嘆息したと言います。